「たちかわ市民科講座 みんなで学ぼう!立川・多摩の歴史と文化」受講者を募集

 11月18日、立川市女性総合センター(立川駅北口徒歩7分)で開かれる「たちかわ市民科講座『みんなで学ぼう!立川・多摩の歴史と文化』」の受講者を募集している。

法政大学の馬場教授が講師
 立川市は、近年の都市化の進展に伴い、年間の転入転出が1万人にも及んでおり、地域コミュニティーの深まりが問われていることから同市教育委員会は、小中学生に郷土愛を育んでもらおうと、同市独自の市民科を設けて郷土学習をしている。まちのいまの様子や、歴史、文化に触れて、市民としていろんな活動にかかわり、社会のために役立つ人づくりにつなげていこうという狙いだ。その一環で、今年度から市内全20小学校5年生が「タマケン・ジュニア級~立川市検定」を受検している。大人にも郷土に触れる機会を広めたいと講座を開くもの。立川市在住者に限らず受講できる。講師は、タマケン学術委員である法政大学大学院人間社会研究科教授の馬場憲一さん。

中学生が使う資料集読んで目から鱗
立川市内の中学生が使っている社会科資料集「たちかわ」を読む機会があった。資料集の内容は、地理、産業、歴史、現代、政治・行政の仕組みが完結明瞭にまとめられていて、夢中で読んだ。
 その中で、目を引いたのは……。
 明治から昭和の地図が4枚掲載されている。明治19(1886)年の立川市の部分地図とはいえ、全面的に畑が広がっている中に、多摩川に「日野渡船場」の記載がある。まだ甲武鉄道(中央線の前身)が敷かれていない。大正13(1924)年の地図には立川停車場の名がある。昭和15(1940)年の地図は駅周辺に建物が密集していて黒い。あるはずの立川飛行場エリアは真っ白。日本陸軍の施設をカモフラージュしていることが読み取れる。

立川駅が現在地にあるわけ
 甲武鉄道の着工は明治21(1888)年5月。当初の立川停車場の建設予定地は、現在の諏訪神社(柴崎町)に近い所だった。周辺住民から「停車場ができると、火の粉が飛んできて火事になる」と建設に反対され、当時の村はずれに駅舎を作ることになった。駅舎は、いまは高架だが、昭和57(1982)年に駅ビルが開業するまで北側にあった。駅舎は、なぜ北側に建てられたのか。蒸気機関車に入れる水を北の砂川村の用水から取り入れたからだと説明されている。

飛行場建設に見合った4条件
 首都を守る東京西部地域に飛行場建設案が出て、その候補地に相模原、小平、立川などが持ち上がった。大正9(1990)年秋、立川に飛行場ができた要因は、こうだ。①首都に近い②広大な平坦地がある③鉄道が通っている④気象条件に恵まれていること。この条件に見合ったのが立川で、各務原(岐阜県)、所沢(埼玉県)に次ぐ3番目の飛行場になった。昭和4(1929)年には日本航空輸送が旅客輸送を始めて、民間利用が始まった。
 中学生だけではなく、目から鱗が落ちる副読本だと実感。まさに武蔵野台地は魅力いっぱいの“宝の宝庫”だ。
 「みんなで学ぼう!立川・多摩の歴史と文化」講座の開講は、11月18日10~12時。募集人数は50人(先着)。講座を主催する同市生涯学習推進センターは、学んだ成果を次回のタマケン受検で生かそうと呼びかけている。申込は、早めに電話042-528-6872立川市生涯学習推進センターへ(平日8時半~17時)。