タマケン・ガイドツアー「多摩めぐり30」全市町村訪ね終えて ガイドした合格者た ちの体験㊤

この5月まで7年がかりで多摩全30市町村を訪ね終えたタマケン・ガイドツアー「多摩めぐり30」。北に狭山丘陵、南に多摩丘陵、西には2000メートル級の奥多摩連山が控えた、この地形は、まるで竹ひごで編んだ農具の箕(み)に似ている。底の平たん地は武蔵野台地。狭山丘陵の裾から次第に南に流れを変えて今日の姿になった多摩川が作った扇状地。ここで展開された“国盗り”合戦の跡を訪ね、開削された用水は先人の命を救った。今日の近代社会を生んだ宝であるように思った。この舞台をガイドしたのは、主にタマケン合格者有志の「タマケン・サポーターズ」のメンバーだった。35回にわたった「多摩めぐり30」に参加したのは延べ約850人。ガイド役の皆さんは、それぞれ何を見、どのように感じたのか。3回にわたって、7人の思いをつづります。

青梅・勝沼城跡で不思議な体験
山梨の郷里に縁があった檜原村

    前田けい子さん(八王子市)

2011年、あの東日本大震災の1月後の4月16日(土)が「多摩めぐり30」の第1回目、小金井市で行われました。武蔵小金井駅に集合し、最初に訪ねた滄浪泉園から多摩めぐりは始まりました。歩く途中、誰かが発した「揺れている」という声に立ち止まり、余震にしばしどよめきが起きたこともありました。一息つく昼食は、小金井公園の桜の木の下で広げたお弁当です。一緒に食べた小平からいらしたお二人とタマケン受検の苦労話をしたことを思い出します。
この1回目の「多摩めぐり」が私の「タマケン・サポーターズ」参加の原点になった気がします。
今年5月の奥多摩町で「多摩めぐり30」が最後になりました。途中、何回か休んだため、全市町村をめぐるという当初の目標は達成できませんでしたが、巡った市町村の中で、多摩・武蔵野の歴史、文化、自然、産業、経済等々、肌で感じることができ、嬉しく、また感動しました。なかでも、青梅市では勝沼城跡に立ち、眺めた街に、戦乱の時が浮かんでくるような不思議な気がしたのを覚えています。


前田さん


あきる野市の五日市憲法草案碑を囲む参加者たち

もう一つは檜原村です。時がそのまま止まったような静けさを感じ、何とも言えない郷愁を感じました。またそこでは故郷山梨と縁があることを知りました。檜原村地域交流センターで、「ひのじゃがくん」(ジャガイモで村おこし)の話を聞いた際に分けていただいたジャガイモが、山梨県上野原から檜原村数馬に嫁いできた「およねさん」が持ってきた種イモで「およねつりも」(およねつるいも)というのだそうです。この「つる」とは山梨県都留市(南都留地方)を指しており、ここから伝わった種イモでした。私の故郷も南都留地方であり、この話が気になっていました。
この話の概要は、『多摩のあゆみ』(159号、多摩の食文化史・ジャガイモの在来種は我が家の味 増田昭子氏)よると次のとおりです。
【日本では江戸時代、甲州代官中井清太夫が天明の飢饉対策としてジャガイモの栽培に取り組み、各村に普及させた。しかもその普及は甲斐国だけにとどまらず、武蔵国・信濃国・上野国・下野国・越後国などにわたり、信濃・上野・下野・越後では「甲州イモ」と呼ぶようになった。甲州のうちでも都留地方ではセイダユウとかセイダとか呼ばれ、北都留地方(現在の上野原市など)では都留地方から伝来したということで、ツルイモと呼んでいた。この地域に隣接していた明治10年代の檜原村でもツルイモと呼んでいたことが『牛五郎日記』によってわかる(抜粋)】
というわけで檜原村のジャガイモと故郷都留地方の関係を知ることが出来ました。
タマケン・サポーターズメンバーとして活動するなかで、「多摩めぐり30」のガイドをする機会を得ました。人前で話すのは大の苦手な私がガイドを担当? でも「出来ません」と言えないし……緊張の中でのガイドでした。初めてのガイドはあきる野市五日市でした。自由民権運動の活動拠点の一つだった勧能学校跡に立って「五日市憲法草案」の話をしました。思いがけない質問が飛び出して何と答えてよいのか、どぎまぎしてしまい、今思い出しても汗が出てきます。他のガイドの皆さんに助けていただき、何とか終了することが出来ました。そこで気付きました。間違うこと・分からないことを恐れる必要がないことを。
実はガイドをする前の資料作成も私にとっては一仕事でした。次々に出てくる疑問を調べ、またその先へと調べ物は尽きませんでした。その段階で知り得たことが新しいことのように見えて来ると、今も嬉しくなります。そうした中から参加した皆さんに紹介したいと思うことに行きついたらガイドもさらに楽しく出来るようになるのではないかと思います。これからも勉強が必要だと感じているところです。一時期、少なかった女性の参加が多くなったことをたいへん嬉しく思います。

「稲城市不知」を認識させたタマケン
居住者に市内案内して大いに喜ばれた

        須永俊夫さん(稲城市)

以前から歴史好きで、寺社城郭など建物好きでもある。生まれ育ちが東京であるので、関西勤務で単身赴任の時には毎週のように京都、奈良の寺社巡りをしていた。勤務先仲間とのいわゆる歩こう会で、東京中心に各地を毎月めぐっていたが、定年を考える頃になって、好きな歴史散歩に役立てばと、江戸文化歴史検定を受け、都心中心のガイドをしていた。これまでの勤務地が都心であるとはいえ、自らの居住地が三多摩の稲城市であり、稲城の歴史も地理も文化にも触れることなく平然と暮らしてきたことを考えると、それにこのままであれば、終の棲家は、この稲城市であり、稲城をはじめとして三多摩地区をよく知らずにいるのは寂しすぎると考え、多摩・武蔵野検定に挑戦した。


須永さん


奈良の大仏開眼供養をした良弁(ろうべん)が干ばつに苦しむ人々のために雨ごいをしたといわれる狛江市の「弁財天池」

「多摩めぐり30」の企画に当初は、散発的に参加していたが、2年前に「次は稲城で、東京都無形民俗文化財の『蛇より行事』を見たいな」との声あり、自らの稲城不知を克服すべく、ガイド候補募集に手を挙げた。市内各地の下見、歴史、文化の調査確認で、稲城不知を改めて認識させられたのと、これまで住所を尋ねられれば「稲城という何もないニュータウンだけど…」と回答していたことを恥ずかしく思った。稲城のガイドをしたときは「東京郊外の殆ど住宅地の街だけど、いろいろと興味深い歴史、風俗、文化がありまして…」と自信をもって話すことができたように思う。
このたび、「多摩めぐり30」が30市町村を網羅して完結できたことは、素晴らしい企画の完了といえると思う。中途から自分もガイドの一員として積極的に参加したこともあり、ガイド仲間の各分野の博識と調査力に感心し、新しい発見があり、多摩の持つ歴史や文化の重みに触れることができて、より身近に多摩を感じられて、とにかく楽しかった。
先日もタマケンとは別で、稲城の中老年の地域仲間を市内ガイドしたのだが、参加者の殆どが成人後、それも精々10年から20年の稲城在住であり、居住地とスーパーと駅以外の知識は持ち合わせない住民であった。各人が行ったことがない場所で、聞いたことのない話をたくさん披露させていただいて大いに喜ばれた。出生地という場所は、故郷と呼ばれて幼少時代を過ごし、仲間も山も川も思い出深いものだが、成人して仕事に就き、家族が増え、そして独立していく現代の核家族の仕組みの中で、「ふるさと」以上に長年の居住地となっていく、第二、第三のふるさと=現居住地を感じ取る機会が少ないのではないだろうか。
この「多摩めぐり30」とそれに続く企画に新たな「ふるさと」づくりが期待できるものと思っている。その企画を支えるメンバーの一人と自認して、各種各様の提案と挑戦を試みていきたい。多摩に居住する多くの人々は、地域文化も地理も風俗も未知のまま、中老年後の生活を展開することに寂しさとつまらなさを感じているのではないかと思うと、頑張り甲斐のある企画と思えてならない。

案内するたびに再発見、再認識
他のガイドから学ぶことが多い

      菊池等さん(青梅市)

僕が「多摩めぐり30」に参加したのは2012年3月10日に行われた8回目の福生市からです。初めて参加し、一日雨が降る寒い中、スタッフとして参加者の安全を守るためのサポートしたことを昨日のように覚えています。
その後の22市町村の中で参加出来なかったのは武蔵野市と稲城市。20市町村に「多摩めぐり30」で訪れました。


菊池さん


今も残る小河内貯水池(奥多摩町)建設当時の鉄道トンネル

元々、山歩きや街歩きが好きで、仲間たちと史跡や神社仏閣、季節の花などを訪ねて多摩地区や都心、埼玉県へと足を延ばしていましたが、「多摩めぐり30」に参加するようになり、多摩地区をもっと深く知りたくて参加を重ねました。ここで学芸員や博物館館長のガイドを聞き、自分も何時かはコースの設定、現地を下見調査し、資料にまとめてガイドが出来たらとの思いを抱いていました。
第14回目の「多摩めぐり30」で青梅市での開催が決まり、ガイドをする嬉しさと不安がいっぱいの中でコースの設定、自主的な下見や事務局同行の下見をする中で新たな発見があり、史跡や神社仏閣、文化財などの調査と資料作りを行い、青梅を再認識したことが財産になりました。調べれば調べるほどに面白さと興味が沸き、道を歩いていてもつい歴史や文化に関連していないか?という目で見ています。
青梅市での最初のガイドで参加者の皆さんに理解してもらえたのか? 自分の説明も、話したかったことの半分も話せないで終って、あれもこれも話したかったのに出来なかったことの反省しきりでした。青梅市以降6市町のガイドをしましたが、毎回が勉強で、参加者の皆さんに教えられることが多く、助けられています。
「多摩めぐり30」で各市町村をめぐって、テキストや本で見た場所へ行って、目で見て、説明を聞き、その都度新しい発見があって毎回が楽しみであり、また他の人のガイドを聞くことが自分の勉強の場になっています。
「タマケン・サポーターズ」の仲間と一緒に「多摩めぐり30」の企画と運営する中で、お互いに切磋琢磨して成長して行きたいと思います。
これからの「多摩めぐり30プラス」を通して自分の知っている多摩・武蔵野を参加者の皆さんに紹介し、自分の知らない多摩・武蔵野を学びたいと思います。