新都山流東京多摩支部の尺八演奏会 7月22日、国分寺市いずみホールで

「好きこそものの上手なれ」ということわざ通り、タマケン大好き人たちは、小さな事柄に目を見張り、心ときめかす。行動すれば、新たな発見にさらに心を奪われる。多摩地域で写真や書、絵画、陶芸など作り手の心が表われる物事に取り組んでいる人たちが、なんと多いことか。
尺八もその一つ。尺八は、奈良時代に中国から伝わった。聖武天皇が愛用したものが東大寺・正倉院にあり、聖徳太子が吹いた竹も法隆寺に残されている。多摩に目を向ければ、東京都指定の旧跡になっている青梅市新町の鈴法寺公園もゆかりの地だ。鈴法寺は江戸時代、虚無僧の宗派である普化宗総括派本山だった。明治維新後に普化宗が廃宗になったことで廃寺になった。
炎暑の夏、そよぐ風にこすれ合う笹の音が聞こえてきそうな尺八のわび、さびに浸ってみませんか。新都山流東京多摩支部(後藤宇山支部長=立川市、38人)が主催して7月22日(土)午前11時から国分寺市いずみホール(JR中央線西国分寺駅南口駅前)で「都山流尺八楽演奏会」を開く。入場無料。
このメンバーの一人、副支部長の平山介山さん(立川市)は、いまは巡り合うことのない虚無僧が門付け(かどづけ)していた時代の光景をつづってタマケン事務局に送ってくれた。

 商店街で虚無僧の門付け
多摩地域には、まだまだ虚無僧が門付けする姿が普通に見られた昭和30年代。多摩地域の駅前商店街は、現在では想像も付かない活気があった。個人店舗がズラリと軒を連ねていた。その店先に虚無僧が立ち、尺八の一、二曲を奏で、布施を頂くという寸法だ。通りの両脇に何十軒と並ぶ個人商店があってできたことだ。
その個人商店主は、商売の傍ら、それぞれ日本古来の芸能を趣味としていた。映画『三丁目の夕日』の鈴木モータース社長が近所の店主三、四人に声をかけて小唄の師匠を招き、稽古をするという風景があちこちで普通に見られた。端唄、民謡、浪花節、そして尺八と。また、それぞれの女房、娘には琴、三味線を勧めた。その誇れる歴史は、今の多摩にも地下水のようにあると思われる。

会則を超えた計らいで多摩支部誕生
7月22日に行う「第二回都山流尺八楽演奏会」は、第二回とは記すものの、実は三十四回目になる。東京支部の一員であった〈多摩〉を京都の宗家が各都道府県で原則一支部の会則を超え、多摩の尺八楽にかける歴史と熱意に鑑み、めでたく昨年から〈多摩支部〉の“看板相許す”のお墨付きを頂き、通算三十四回目、多摩支部として二回目の発表会を迎えることになった。
多摩地域と縁の深い神奈川、埼玉、千葉県の各支部、遠く兵庫県支部の有志の応援を迎える演奏会になる。多摩地域の伝統芸能を大切に繋いで来た先人に感謝している。
演奏会では本曲「八千代」や「朝の海」をはじめ、「ひぐらし」「秋の初風」「ソーラン節」「十五夜に寄せて」など、三絃、箏、17絃筝が加わり、20曲余りを演奏する。午後4時半、終演予定。問い合わせは☎042-559-6244千葉蘭山さんへ。

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タマケン・ガイドツアー「多摩めぐり30」全市町村訪ね終えて ガイドした合格者たちの体験㊦

恨めしい“検定”の二文字、いまや楽しさに
コース情報案内して体力差カバーに生かす
     相山 誉夫さん(武蔵野市)

東京で暮らすようになって今年で33年になる。定年が間近になった頃、ふと我が身を振り返った。東京に住んではいるが、23区の位置関係が曖昧で、自分が生活拠点にしている多摩地域についても市町村の数や存在場所、ましてや特徴など殆ど知らないことに気がついた。
そんなある日、9年前のことだ。吉祥寺の某書店の前を通りかかったとき、店先に緑色の表紙の書籍が5~6冊重ねて置いてあるのが目に入った。その表紙には「タマケン 知のミュージアム 多摩・武蔵野検定公式テキスト」とあった。“検定”という文字に一瞬、戸惑いを感じたが、多摩を知る手がかりとしては好都合かな、と思い買い求めた。これが私と「タマケン」との出会いとなった。
テキストを読んでいるうちに多摩の歴史や文化を知る面白さに魅了され、いつしか“検定”の文字が気にならなくなった。その年の秋に行われた3級試験を皮切りに2級、1級と受検した。しかし、1級の合格証書は、届かなかった。‟検定”という恨めしい二文字を思い出し、出題された問題を呪っているうちに、2011年に「多摩めぐり30」が始まった。元来、アウトドアが好きな方なので、つとめて参加していたところ、「タマケン」をサポートする「タマケン・サポーターズ」が設立されメンバーに加わった。メンバーになって、改めてタマケンの活動内容が多様であることを知った。合わせてこれらの業務を少人数のタマケン事務局で進めていることに驚いた(今も変わらず多忙ですね)。


相山さん


石灰岩層の断層が露出した大岩が覆いかぶさる白髭神社(奥多摩町)で記念撮影

「多摩めぐり30」で市町村を訪問するに当たり、予め企画、立案、下見、ガイド用冊子の作成が行われる。対象となった市町村の歴史、文化、産業などの特徴について、資料などを入手して調べ、下見で調整と確認が行われる。ガイド用冊子が届くと、いつも先輩ガイドの皆さんの綿密な調査と説明、解説に感嘆する。「知のミュージアム」にふさわしい知的財産が蓄積されて行くのを実感する(一方で試験が難しくなるのではという懸念も?)。
「多摩めぐり30」開催当日、他の参加者の皆さんと一緒に歩いていて、目的とする建物などに到着したときに「ここがそうですか!」と感激の声が上がる。同時にホッとした明るい気分になる。下見のとき、雨に降られて神社の軒下で雨宿りをしながら侘しく昼食を摂ったことも忘れてしまう。
多人数で歩くと、歩き方に個人差が生じて遅れる人がある。かつて大勢のメンバーで山歩きをしていた際に、遅れる者が出て、2つのグループに分かれてしまった。遅れたグループは、さらにルートを間違えたため、合流するまでに時間的ロスが生じ、不安も増した。遅れた仲間の一人は、急いだために転び、膝に傷を負っていた。歩き方に差があるのは致し方がないことです。予めコースの難易度を知らせるとともに、サポートする側は歩き方を含めて、余裕を持ったスケジュールを組む必要があると思う。転んだときに手を使いやすくするために手荷物を持たない方がよい。ストック(杖)があるなら使用した方がよい。坂道でストックを利用すると、安全で楽です。夏に向かって水分補給が必要で、特に高齢になると、前もっての補給が重要です(私のことか?)。
「多摩めぐり30」では事務局をはじめ、サポーターズの仲間、そして、他の参加者の皆さんとともに楽しく参加しています。「多摩めぐり30」に引き継いで行われる「多摩めぐり30プラス」では、どのような「多摩」に巡り合えるのか、楽しみです。

直に触った青梅縞、イワタバコの花も初見
故郷である「多摩丘陵」の息吹を伝えたい
     宮崎 雅文さん(板橋区)

「多摩めぐり30」に積極的に参加するようになったのは2013年頃から。15年からは、少しずつツアーのお手伝いをしています。今年5月、奥多摩町の回で多摩・武蔵野地域の30市町村全てをめぐり終えて大変感慨深いものがあります。
13年秋に訪れた青梅市の回は、特に印象に残っています。青梅縞を作っている工場に入ったのは初めての体験でした。実際に生地を見るだけでなく、直に触らせていただき、その光沢となめらかさに驚きました。工場には大学を卒業したばかりなのでは、と思うくらいの若い世代の職人さんが何人もいて、長い歴史がある織物が現代的な感覚によって新しい姿を見せ始めているように思えて頼もしくなりました。


宮崎さん

15年には二度、高尾山に登る機会に恵まれました。個人的に毎年1月に薬王院に参拝していますが、高尾山の植物の多様性について、知識として知ってはいたものの、個人的に観賞してみたいと思うほど強い興味がありませんでした。「多摩めぐり30」に参加していなければ、イワタバコという植物を知らずに過ごしていたかもしれません。
今年3月から「多摩めぐり30」に続く新しい企画として「多摩めぐり30プラス」がスタートしました。テーマは「多摩丘陵」です。3歳から約10年間を稲城市平尾で、その後の約19年間を八王子市寺田町で過ごした私にとって、多摩丘陵は故郷も同然です。10代の頃、自転車で駆け回った地域を皆さんに案内できることに大きな喜びを感じております。多摩丘陵の周辺に暮らしてきた人たちの生活の一端が伝わるガイドをこれからも心がけていきたいと思います。
添付した写真は、昨年(2016年)見学した東京都無形民俗文化財の「蛇より行事」(稲城市百村)を撮影したものです。夏の炎天下、地元の方々が力強く萱を大蛇の形に撚り上げる姿に圧倒されました。「多摩めぐり30プラス」の中で、このような行事も取り上げられるように今後も努めていきたいと思っております。


イワタバコ


奉納された「蛇」


掛け声をかけながら生かわきの萱を撚り上げて汗びっしょり

タマケン・ガイドツアー「多摩めぐり30」全市町村訪ね終えて ガイドした合格者たちの体験㊥

静謐求めた檜原村の神事  生活体験聞いて地元を知る
     味藤 圭司さん(武蔵野市)

民俗学者宮本常一は「その土地を知るにはできるだけ歩いてみることだ」と言っています。「多摩めぐり30」は、まさに「その土地を歩く」といった基本に従って、多摩の全市町村を歩き回り、地理、歴史、文化、産業など何でも貪欲に知ろうという企画の下に運営されています。
しかし、この企画の大きな特徴は、単にあちらこちらを歩いてモノを見て回るだけではないという点にあるのです。


小平市内をめぐった時に地元ラジオ局のインタビューを受ける味藤さん


山が迫る春日神社境内で檜原村の人たちに「御餇神事」について聞いた

それは何かと言えば、「多摩めぐり30」では、時に土地の人からその土地に関する話を語っていただくコーナーを設けていることです。モノを見ることだけに留まらず、今もそのモノに関わりを持つ人々から直接話を聴き、さらにはガイドブックなどには書かれていない現地の人ならではのとても興味深い情報を得ることによって、各地で開催されている一般の「まち歩き」とは一味違ったものになっています。
私自身、「多摩めぐり30」の最初の頃は物見遊山的な気分で各地を歩いていたのですが、各地で地元の人々の話を聞いているうちに、その地で生活しているあるいは生活していた人々の「思い」を感じ取ることも地域を知る一つの大切なプロセスであることに気づきました。この部分がないとその土地の過去も現在も本当に知ったことにはならないのではないかとの確信を得ました。
檜原村春日神社で神社総代から伺った「御餇(おとう)神事」の話についても、米を作ることのできない山間地域の人々の白米に対する強い思いを感動を以て聞くことになりました。年に一度だけ、村人が一堂に会し、神前で白米を食べる、それも村の代表者が斎戒沐浴して、村の命の源といえる秋川の水を汲み上げて炊き上げた白米を食べるという意味の深さは、飽食の時代に過ごしている私の意識から消えていったものを呼び覚ましてくれました。周囲の山々を見上げ、清冽な秋川の流れを見下ろし、巨大な神木の下で聞いたというシチュエーションもあってビリビリと心に響く御餇神事の話でした。
「多摩めぐり30」で訪問できなかった未踏の多摩はまだまだあります。ということは、地域を、人々を知る愉しみが多摩の各地に多く残っているということです。続編となる「多摩めぐり30プラス」の企画にも引き続き期待し、多摩を歩き続けたいと思います。

 

遊び場は武蔵武士の館跡だった  阿保道堪と多摩市の関係も知る
     関根 充さん(八王子市)

「多摩めぐり30」では、知る喜びを数多く体感しました。他のガイドの説明に耳を傾け、また、私が担当する場の資料作りが大変面白く、さらに調べることで新しい知識を得ることが出来ました。
タマケンで活動して感動したひとつに自分のふるさとを再発見したことです。「多摩めぐり30」で武蔵七党、武蔵武士について何度も聴き入ったものです。私がハッと気付いたのは、生まれ育ったふるさとの歴史の深さでした。

関根さん


緑陰に映える高尾山のふもと

私のふるさとは、埼玉県児玉郡神川町大字元阿保(もとあぼ)。最寄り駅はJR八高線丹荘(たんしょう)駅です。実家の北側を鎌倉街道上ノ道が通ります。直線で約100メートルの近さにあり、幼少のころ、良く遊んだ道でした。元阿保には阿保神社があり、この境内でも三角ベースの野球をしていました。戦後のベビーブームの時代、各家には子供が数多く、野球の試合をするのに人数集めに苦なしでした。
この神社の由緒について、タマケンの活動を通じてわかり、驚きを隠せませんでした。ここは28代宣化(せんか)天皇(即位535年)の流れを汲む武蔵七党のひとつ丹党の豪族、阿保氏代々の館跡でした。阿保氏がいたことから元阿保の地名になり、今に至っています。阿保氏について調べれば調べるほど、勇猛な武将であったことを知り、へェ~! そうなのかぁ! そういうことがあったのか! と感嘆符のオンパレード。
阿保氏一族は、平家追討、平泉の藤原泰衡征伐、承久の乱などの活躍が語り継がれており、鎌倉時代から室町時代、戦国時代へと活躍した武将です。丹荘駅の駅名の由来は、丹党が治めていた地だから名付けられています。
阿保氏一族の阿保道堪(何代目か不明)が活躍したことを記した碑が多摩市にあることを知り、私のふるさとと多摩が繋がり、不思議な思いと共に嬉しさが込み上げてきたものです。
振り返ってみれば、60代も半ばになって、ふるさとの歴史を初めて知ったことから次から次へとインプットされた反面、今まで何をしていたのかと恥ずかしい思も込み上げてきます。
今後もタマケン活動に携わってひとつでも多くの感動を得たいと思っています。嬉しいことはタマケンサポーターズのメンバー、タマケン・ガイドツアー参加者の皆さんと「輪=和」ができ、回を重ねる毎にその関係が太くなっていることです。

タマケン・ガイドツアー「多摩めぐり30」全市町村訪ね終えて ガイドした合格者た ちの体験㊤

この5月まで7年がかりで多摩全30市町村を訪ね終えたタマケン・ガイドツアー「多摩めぐり30」。北に狭山丘陵、南に多摩丘陵、西には2000メートル級の奥多摩連山が控えた、この地形は、まるで竹ひごで編んだ農具の箕(み)に似ている。底の平たん地は武蔵野台地。狭山丘陵の裾から次第に南に流れを変えて今日の姿になった多摩川が作った扇状地。ここで展開された“国盗り”合戦の跡を訪ね、開削された用水は先人の命を救った。今日の近代社会を生んだ宝であるように思った。この舞台をガイドしたのは、主にタマケン合格者有志の「タマケン・サポーターズ」のメンバーだった。35回にわたった「多摩めぐり30」に参加したのは延べ約850人。ガイド役の皆さんは、それぞれ何を見、どのように感じたのか。3回にわたって、7人の思いをつづります。

青梅・勝沼城跡で不思議な体験
山梨の郷里に縁があった檜原村

    前田けい子さん(八王子市)

2011年、あの東日本大震災の1月後の4月16日(土)が「多摩めぐり30」の第1回目、小金井市で行われました。武蔵小金井駅に集合し、最初に訪ねた滄浪泉園から多摩めぐりは始まりました。歩く途中、誰かが発した「揺れている」という声に立ち止まり、余震にしばしどよめきが起きたこともありました。一息つく昼食は、小金井公園の桜の木の下で広げたお弁当です。一緒に食べた小平からいらしたお二人とタマケン受検の苦労話をしたことを思い出します。
この1回目の「多摩めぐり」が私の「タマケン・サポーターズ」参加の原点になった気がします。
今年5月の奥多摩町で「多摩めぐり30」が最後になりました。途中、何回か休んだため、全市町村をめぐるという当初の目標は達成できませんでしたが、巡った市町村の中で、多摩・武蔵野の歴史、文化、自然、産業、経済等々、肌で感じることができ、嬉しく、また感動しました。なかでも、青梅市では勝沼城跡に立ち、眺めた街に、戦乱の時が浮かんでくるような不思議な気がしたのを覚えています。


前田さん


あきる野市の五日市憲法草案碑を囲む参加者たち

もう一つは檜原村です。時がそのまま止まったような静けさを感じ、何とも言えない郷愁を感じました。またそこでは故郷山梨と縁があることを知りました。檜原村地域交流センターで、「ひのじゃがくん」(ジャガイモで村おこし)の話を聞いた際に分けていただいたジャガイモが、山梨県上野原から檜原村数馬に嫁いできた「およねさん」が持ってきた種イモで「およねつりも」(およねつるいも)というのだそうです。この「つる」とは山梨県都留市(南都留地方)を指しており、ここから伝わった種イモでした。私の故郷も南都留地方であり、この話が気になっていました。
この話の概要は、『多摩のあゆみ』(159号、多摩の食文化史・ジャガイモの在来種は我が家の味 増田昭子氏)よると次のとおりです。
【日本では江戸時代、甲州代官中井清太夫が天明の飢饉対策としてジャガイモの栽培に取り組み、各村に普及させた。しかもその普及は甲斐国だけにとどまらず、武蔵国・信濃国・上野国・下野国・越後国などにわたり、信濃・上野・下野・越後では「甲州イモ」と呼ぶようになった。甲州のうちでも都留地方ではセイダユウとかセイダとか呼ばれ、北都留地方(現在の上野原市など)では都留地方から伝来したということで、ツルイモと呼んでいた。この地域に隣接していた明治10年代の檜原村でもツルイモと呼んでいたことが『牛五郎日記』によってわかる(抜粋)】
というわけで檜原村のジャガイモと故郷都留地方の関係を知ることが出来ました。
タマケン・サポーターズメンバーとして活動するなかで、「多摩めぐり30」のガイドをする機会を得ました。人前で話すのは大の苦手な私がガイドを担当? でも「出来ません」と言えないし……緊張の中でのガイドでした。初めてのガイドはあきる野市五日市でした。自由民権運動の活動拠点の一つだった勧能学校跡に立って「五日市憲法草案」の話をしました。思いがけない質問が飛び出して何と答えてよいのか、どぎまぎしてしまい、今思い出しても汗が出てきます。他のガイドの皆さんに助けていただき、何とか終了することが出来ました。そこで気付きました。間違うこと・分からないことを恐れる必要がないことを。
実はガイドをする前の資料作成も私にとっては一仕事でした。次々に出てくる疑問を調べ、またその先へと調べ物は尽きませんでした。その段階で知り得たことが新しいことのように見えて来ると、今も嬉しくなります。そうした中から参加した皆さんに紹介したいと思うことに行きついたらガイドもさらに楽しく出来るようになるのではないかと思います。これからも勉強が必要だと感じているところです。一時期、少なかった女性の参加が多くなったことをたいへん嬉しく思います。

「稲城市不知」を認識させたタマケン
居住者に市内案内して大いに喜ばれた

        須永俊夫さん(稲城市)

以前から歴史好きで、寺社城郭など建物好きでもある。生まれ育ちが東京であるので、関西勤務で単身赴任の時には毎週のように京都、奈良の寺社巡りをしていた。勤務先仲間とのいわゆる歩こう会で、東京中心に各地を毎月めぐっていたが、定年を考える頃になって、好きな歴史散歩に役立てばと、江戸文化歴史検定を受け、都心中心のガイドをしていた。これまでの勤務地が都心であるとはいえ、自らの居住地が三多摩の稲城市であり、稲城の歴史も地理も文化にも触れることなく平然と暮らしてきたことを考えると、それにこのままであれば、終の棲家は、この稲城市であり、稲城をはじめとして三多摩地区をよく知らずにいるのは寂しすぎると考え、多摩・武蔵野検定に挑戦した。


須永さん


奈良の大仏開眼供養をした良弁(ろうべん)が干ばつに苦しむ人々のために雨ごいをしたといわれる狛江市の「弁財天池」

「多摩めぐり30」の企画に当初は、散発的に参加していたが、2年前に「次は稲城で、東京都無形民俗文化財の『蛇より行事』を見たいな」との声あり、自らの稲城不知を克服すべく、ガイド候補募集に手を挙げた。市内各地の下見、歴史、文化の調査確認で、稲城不知を改めて認識させられたのと、これまで住所を尋ねられれば「稲城という何もないニュータウンだけど…」と回答していたことを恥ずかしく思った。稲城のガイドをしたときは「東京郊外の殆ど住宅地の街だけど、いろいろと興味深い歴史、風俗、文化がありまして…」と自信をもって話すことができたように思う。
このたび、「多摩めぐり30」が30市町村を網羅して完結できたことは、素晴らしい企画の完了といえると思う。中途から自分もガイドの一員として積極的に参加したこともあり、ガイド仲間の各分野の博識と調査力に感心し、新しい発見があり、多摩の持つ歴史や文化の重みに触れることができて、より身近に多摩を感じられて、とにかく楽しかった。
先日もタマケンとは別で、稲城の中老年の地域仲間を市内ガイドしたのだが、参加者の殆どが成人後、それも精々10年から20年の稲城在住であり、居住地とスーパーと駅以外の知識は持ち合わせない住民であった。各人が行ったことがない場所で、聞いたことのない話をたくさん披露させていただいて大いに喜ばれた。出生地という場所は、故郷と呼ばれて幼少時代を過ごし、仲間も山も川も思い出深いものだが、成人して仕事に就き、家族が増え、そして独立していく現代の核家族の仕組みの中で、「ふるさと」以上に長年の居住地となっていく、第二、第三のふるさと=現居住地を感じ取る機会が少ないのではないだろうか。
この「多摩めぐり30」とそれに続く企画に新たな「ふるさと」づくりが期待できるものと思っている。その企画を支えるメンバーの一人と自認して、各種各様の提案と挑戦を試みていきたい。多摩に居住する多くの人々は、地域文化も地理も風俗も未知のまま、中老年後の生活を展開することに寂しさとつまらなさを感じているのではないかと思うと、頑張り甲斐のある企画と思えてならない。

案内するたびに再発見、再認識
他のガイドから学ぶことが多い

      菊池等さん(青梅市)

僕が「多摩めぐり30」に参加したのは2012年3月10日に行われた8回目の福生市からです。初めて参加し、一日雨が降る寒い中、スタッフとして参加者の安全を守るためのサポートしたことを昨日のように覚えています。
その後の22市町村の中で参加出来なかったのは武蔵野市と稲城市。20市町村に「多摩めぐり30」で訪れました。


菊池さん


今も残る小河内貯水池(奥多摩町)建設当時の鉄道トンネル

元々、山歩きや街歩きが好きで、仲間たちと史跡や神社仏閣、季節の花などを訪ねて多摩地区や都心、埼玉県へと足を延ばしていましたが、「多摩めぐり30」に参加するようになり、多摩地区をもっと深く知りたくて参加を重ねました。ここで学芸員や博物館館長のガイドを聞き、自分も何時かはコースの設定、現地を下見調査し、資料にまとめてガイドが出来たらとの思いを抱いていました。
第14回目の「多摩めぐり30」で青梅市での開催が決まり、ガイドをする嬉しさと不安がいっぱいの中でコースの設定、自主的な下見や事務局同行の下見をする中で新たな発見があり、史跡や神社仏閣、文化財などの調査と資料作りを行い、青梅を再認識したことが財産になりました。調べれば調べるほどに面白さと興味が沸き、道を歩いていてもつい歴史や文化に関連していないか?という目で見ています。
青梅市での最初のガイドで参加者の皆さんに理解してもらえたのか? 自分の説明も、話したかったことの半分も話せないで終って、あれもこれも話したかったのに出来なかったことの反省しきりでした。青梅市以降6市町のガイドをしましたが、毎回が勉強で、参加者の皆さんに教えられることが多く、助けられています。
「多摩めぐり30」で各市町村をめぐって、テキストや本で見た場所へ行って、目で見て、説明を聞き、その都度新しい発見があって毎回が楽しみであり、また他の人のガイドを聞くことが自分の勉強の場になっています。
「タマケン・サポーターズ」の仲間と一緒に「多摩めぐり30」の企画と運営する中で、お互いに切磋琢磨して成長して行きたいと思います。
これからの「多摩めぐり30プラス」を通して自分の知っている多摩・武蔵野を参加者の皆さんに紹介し、自分の知らない多摩・武蔵野を学びたいと思います。

7月1日(土)多摩めぐり30プラス~多摩丘陵第4弾「絹の道と鑓水商人の里」

豪商が行き交った谷戸の里で歴史と文化に浸る

八王子市南東部にあり、町田市域に近い御殿山から「絹の道」を南東に上る。典型的な「谷戸の里」鑓水(やりみず)は、多摩丘陵ならではの水の里だ。江戸末期から明治にかけて、村には人が増え、豪商が行き交い、北関東から生糸を買い集め、立ち並んだ織物工場は、どこもフル稼働した。平本平兵衛、八木下要右衛門、大塚徳左衛門らは「異人館」で外国人と熱い商談をした。織った絹は、横浜から外国航路に載った。ここには幻の鉄道路線跡も残る。相模と武蔵の国をまたぐ南津(なんしん)鉄道が敷設寸前で計画がとん挫したという。そのわけは? 立ち寄る寺や旧家にも時代を象徴した偉業を称える碑がある。その礎は、いまわれらが享受している。蘭方医・青木得庵の足跡にも触れる。長年、地区公民館に眠っていた江戸末期からの文書を紐解き、地元の人らが一冊に編んだ歴史と文化の一端を聞く講演も用意した。

◆集合日時 2017年7月1日(土)9時
◆集合場所 横浜線 片倉駅
◆講 演 「鑓水村と由木村時代の主な出来事」鑓水歴史研究会 石井歳男さん
◆ガイド タマケン合格者 関根充さん 前田けい子さん、宮崎雅文さん、菊池等さん
◆参加費 1,000円(資料代・傷害保険料含む)
◆募集人員 先着順 30人
◆持ち物 弁当、筆記具、雨具、飲み物
◆お問い合わせ 042(591)8540タマケン事務局(平日10-16時)

詳細はチラシをごらん下さい